東洋人、主に日本人は聴覚を使わずに音を感じることが出来る。漫画がアニメ化した時思ってたのと違った!という感覚は日本人に多く、独特な感覚らしい。 その感覚がない人は 文字 と 絵 という認識のみで 日本人はそのキャラクターの声を作り上げて再生するイメージ。
視覚でいうと、少し前のニュートンの記事にVR眼鏡をかけて視野の中心部以外を少しづつモノクロにしていくが、1/3の人が中心部以外8割モノクロになっても気付かないという記事があった。 視覚の中でも色彩は優先度が低く経験値から色彩の保護している。2/3だった気もしてきた。8割モノクロで気付かずという事は静止画の世界ではなく何か動きのある動画であり何かの動きに集中させるような仕組みのあるVRだったと思いたい。 まったく話に関係していない感あるけど無いものの補い力は元々人間に備わってるということ。
聴覚に戻ると、日本人は虫の出す音を、虫の声、虫が鳴いている、と思うが、ただただ虫の出す音と思う国民性も多く、そもそも虫の出す周波数をほぼ聞き取れない人種も多いよう。
ドッカーン や バフッ などの擬音語やオノマトペ表現も日本独特でそこから広まった。 音だけでなく顔文字も日本が産んだ漫画的表現だが顔文字やスタンプの使用頻度や生産量も日本がトップだ。 風船が空に浮いてる絵を見たときに日本人はピューっと風に吹かれる風の音で絵画を言語化し見えない風を感じているが、西洋圏では風船が浮いているという事実を受け止めて風という着想には行かない人がほぼほぼらしい。 感覚が独特なんだなぁ。 擬音やオノマトペ表現をオカルト的解釈するとカタカムナに行き着くのでやっぱり漫画はそもそもが日本人に読みやすい作りになっていて、その表現方法が世界的に斬新でコンテンポラリーに入り込めているんだと思う。
漫画的表現は外人に伝わらないことも多く、例えば少女漫画でヒロインが食パンくわえて急げ急げ〜と走っているシーンで汗の粒が2、3粒描かれる。 💦 ←(絵文字出るかな この焦っているという心情のグラフィック表現をアメリカ人は、日本人は焦ると米をまく、と思う人もいたらしい。 かわいい。