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100号で漫画を描いて

絵画でいう粗密、主役、見せ場、目線の誘導など、、、、全部いっっさい関係なくなる。 そもそも目線の誘導は読み物ありきになり右上から下、左上へ上がりまた下へと、日本の漫画という文化が一般すぎて読み手側の偏差値が高く何のハードルもなく投げっぱですでにクリアするし、普段粗密、明度差、カラーバリエーションなどにて主役を引き立たせるテクニックも、コマの大きさや、集中線という漫画ならではのエフェクトによりそんな小手先の技は全く異種格闘技戦。 日本のフォントの使い分けにて声の大きさ、声質、感情を表現し、カタカナはBGM、オノマトペでありセリフではないというこれまた読み手の偏差値の高さに一切の説明、ストレスなく通じる。

ここまで何も説明せず様々な問題を基礎力の高さによりスルーできているのは日本は漫画という物を進化させすぎているし、日本人用にめちゃめちゃ特化して進化しているのがわかる。 

こういう常識という物が側から見たら才能であると言うのは気づかないのはそうで、みんなそうだと思ってた。とキョトンとするだろうが本当にすごい。相当な年月、作家も読み手も膨大な人数、学び真似る著作権フリーによる成長。それをエンタメというポップな枠から出ない作り手と売り手。

こう言う事なんだろうなぁ。  こういうことだぞ!!!

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